今回の鹿島槍東尾根の報告を読んだら、たまに話題になるトピックが浮かび上がっていました。
警察への計画書提出について、バリエーションルートは年中、一般道も冬季は登山口のポストに計画書を出してもあまり意味がない。年末年始とGWの入山者が多い期以外は、ほとんど取りにきてこないからである。
山に向かっているとき、警察署か交番に寄る手もあるが、メールか郵送するのが確実なので積極的に使おう。(ホームページにある各警察署の連絡先がちょっと古くなっているので部員に新リストを送った:確認してください。)
最近、考え方が緩くなったが自分があまりいい見本を見せなかったのも原因だと痛感している。出発直前の計画変更が多かったり、提出ポストのなさ・無意味さが現実だったり、連絡係さえしっかりしていて万一の時FAXしてくれればいいと思ったり、こう言った要素があいまってあまり必要性を感じなかった。
しかし、その肝心な連絡係に何かあったら、どうなるだろう?と思うと、自分の考えのあまさが見えて来る。顧問教員には出したものの、連絡係から非常の連絡がなければ、考えるまでのことでもない。そういった場合に備えて、やはり警察にも1通を送っておいたほうが無難だろう。
最近、計画書を部員全員のパソコンアドレスに回すのを試し始めたが、得に長い合宿のときに連絡係以外に予備連絡係があったほうがいいか、またはネット上で入山・下山システムを作るか、現状のままでいいか、現役でいろいろと議論したらどうですか。
--heiki
2010年05月12日
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まず、最終下山日と留守本部をはじめ、メンバーの情報、装備、食料、ルート図などを載せた山行計画は必ず提出してください。なにかあった時に、救援体制を作ったりメンバーの家族に連絡を取るために大切な時間を浪費してしまいます。顧問は、「無責任の放置」としての責任を取らねばなりません。辞職後に新規の顧問が見つかるとしても、インフラは根元からぐらついてしまいます。
次に、山行前!に、ファックスでもPDFファイルでの電子メール利用でもよいですから、地元警察署の山岳警備隊には必ず山行計画を提出してください。平常時は見ないけれども、事故のときには必ず参照します。山域をもっともよく知っている人々です。遭難事故のとき、真っ先に飛び出すことできる彼らですが、計画書の提出を待っていたり計画の概要を把握するために手間取っては、救助に必要な時間を浪費してしまいます――特に日没が近いときには――。今回の鹿島槍東面地域は「遭難の巣」ですし…。富山・岐阜・長野県警は信頼するべきです。
今回の転落・滑落については、もっと検証が必要だと思う。私が行ったのは大昔で、寡雪の1979年の冬でしたが、かつて第二岩峰上部の稜線で学習院大山岳部が北壁側の雪庇をよけたけれども逆側の斜面で雪崩遭難を起こしていたり、遭難事故が多いルートなので緊張しました。また、赤岩尾根の下りの件では、10時間を越えるような行動をしている最中の事故ですよね。疲労の蓄積と注意力の弛緩、コミュニケーションの欠落、安全圏直前の心理状態など、みんなで共有すべき教訓がたくさんあると思います。部会のときには声をかけてください。でも、3月29日の降雪はほんどうに酷かったですね。参りました…。
いろいろなご指摘ありがとうございます。
静大山岳部の計画書には「最終下山時刻」があって、あれは「最終下山連絡時刻」という意味で、あの時間までに下山または計画変更の連絡がなければ遭難とみなす。食料、燃料はその後1日分以上あることが計画の前提です。そこで、連絡係がアラームを出すのは、その時が過ぎて連絡が取れなかったらすぐにか、翌日の朝かは状況判断次第。
本当は、最終下山時刻を過ぎて連絡が取れなかった時点で、先生がしたように救助隊が翌日の朝に出発できるように編成し始めるべきだろう。現役で検討して下さい。
実際、連絡なしで時間が過ぎた経験はないが、計画がらみのハプニングはいくつかあって、もし現役の参考になれば:
・2007年11月18日、白馬鑓温泉から猿倉に向かっている時、大雪で行動が困難になり、杓子尾根の峠付近で17時に到着不能を判断してでビバークした。その時は食料・レーション・非常食・ガソリンが十分あって、電波があったので連絡係と連絡が取れて、最終下山時刻を翌日の午後2時に延期した。結局、タクシーが乗れるところに着いたのは午後3時だったが、これも連絡係と話し合えた。
・2007年8月、屋久島に沢合宿に行った時、メンバーの親族の読み方ミスで、警察に連絡が行き大騒ぎになった。あの時は、計画書が現地で提出済みだったが、県警本部、学務の手元までは届いていなかった。詳しい内容はHPの報告で。
・2009年5月、部員に連絡しただけで、計画書未提出で沢登に行った。沢登は順調だったが、下山予定の登山道が消えていて遠回りになった。早い下山を想定していたので沢の上流であまり水をくまなくて、水不足でのビバークの可能性は少しはあった。結局、20年前の地図になかった新しい登山道で下山できて大丈夫だったが、あれがなかったら大騒ぎになっただろう。
私の今の考え方では、他の提出はともかく、出発前に最新版を連絡係、担当県警、顧問教員、BCCで他の部員に送ると簡単にできて心強い。一年生に連絡係の仕事もしっかり教えましょう。
鹿島槍について
今回のメンバーは、10時間以上の行動になれています。が、私も先頭で下る時、いやらしい場所が多いな〜と考えました。しかし、空洞を踏んだり、甘い斜面をリードして先頭にいたからこそやたら注意していたと思います。こういう時、初心者といると結構しっかりしたステップを作るように心掛けていますが、一緒にいたのは初心者ではなかったため、ホイホイ降りていました。
「トレース有り」と「安全圏が近い」ことの心理的影響があなどれません。
私も雪崩で緊張した:第2テン場と第1岩峰の間と、
鹿島槍北峰の手前で雪崩そうな場所をいくつか突破しました。特に前者は、シュルント、新雪の急斜面でどの岩峰よりも危険だったと思います。